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九谷焼 赤絵 草花文 酒器 一対 北出塔次郎 北出窯 瓢箪形 徳利 瓢 瓶 同梱s可 日本芸術院賞 受賞 セール品 特売品
¥4,650
ヨーロッパの今は有名ブランドとなった磁器も、カオリンなどの鉱脈の発見と、中国の景徳鎮や肥前(有田)の焼物を真似ることでその隆盛を築いたように、九谷焼もまた九谷村金山での磁鉱の発見と、加賀藩主の命により肥前におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を学ばせたという同様の歴史を持ちます。初期のものは『古九谷」とも呼ばれその特徴は「半陶半磁」磁器にも陶器見えることや、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩を使っています。 北出塔次郎 陶歴 東京文化財研究所 アーカイブ 明治31年(1898)兵庫県に生まれ 大正5年関西大学法科を中退 大阪美術学校で矢野喬村に学ぶ 昭和11年富本憲吉に師事した。 昭和21年金沢美術工芸専門学校講師 昭和23年 第1回金沢文化賞 受賞 昭和24年金沢美術工芸専門学校 教授 昭和26年には北国新聞文化賞を受賞 昭和34年 石川県文化財専門委員 昭和38年石川県陶芸協会会長 昭和39年日展文部大臣賞 昭和44年5月、日本芸術院賞 受賞 商品は九谷焼 赤絵 草花文 酒器 一対 北出塔次郎 北出窯 瓢箪形 徳利 瓢 瓶です。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 sale ◎ セール番号 BB001~B004 商品番号 BB001-B002 色 赤絵 草花文 箱 - 高さ 13cm 胴径 7cm 容量 180ml 1対 2本価格です。 在庫2 4本 BB001-B002 BB003-B004
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古美術 積善堂 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱 陶源作 AA53 倣古 景徳鎮 染付高砂花生
¥12,800
古美術 積善堂 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱 サイズ 高さ21,5cm 胴径11cm 状態/製造年代 完品 傷などはありません 明治末頃以降 1910年頃以降 製造者名 井上陶源堂 材質 磁器 管理番号 kosometuke-takasagote-kao inouetougendou AA53 商品詳細 商品は 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱があります。 時代考証 景徳鎮窯 古染付高砂手花生 東京国立博物館 画像検索 写し 倣古景徳鎮 「倣古」古(いにしえ)に「倣」(ならう)景徳鎮 古染付高砂手花生写し 井上陶源堂 明治10年(1877)に開業されました。 初代は金沢から陶画工を招いて、地元の北出窯、蘇川窯などの素地に絵付をした製品を自家生産しました。 江沼地方を販売基盤にして京阪方面にも多くの顧客、小売店を得て、明治38年(1905)頃には江沼地方随一の陶器商人となりました。 特徴は伊万里、京焼を中心に国内各地の色絵の名品を研究して、その特色を取り入れた製品 陶画工の技能を活かし、古九谷風、八郎手風、伊万里風の良品を生産しました。 この作品は「倣古」(いにしえにならった)作品を世に出す。銘がないことから最初の頃の作品と思われます。 素地の完成度(異物が少ない)は高いものの、厚みがあることから明治末頃以降と思われます。 厚手となった部分について、分業が図られ、画工職人と形状職人に分かれ、形状部分は井上陶源堂の仕事ではなかった可能性はある。 ロールストランドやアラビアといった北欧の民藝調陶磁器メーカーでは、形状デザイナーも画工デザイナーも同様の地位にある。 九谷焼は画工一つで価格が天と地程の開きがある世界だが、優れた形状デザイナーを養うことは、九谷焼全体の発展には欠かせない要素ではある。 送料 日本全国一律 送料無料 ゆうパック
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古美術 積善堂 京焼 鶏 置物 共箱 東天紅 楠部弥弌 文化勲章受章者 楠部彌弌 日本芸術院賞受賞
¥16,800
古美術 積善堂 京焼 鶏 置物 共箱 東天紅 楠部彌弌 サイズ 雄鶏 幅15.5cm 高さ20cm 雌鶏 幅13cm 高さ8cm 状態/製造年代 京焼 鶏 置物 共箱 東天紅 楠部弥弌作です。 箱には年代からの傷みがありますが、作品にはヒビや傷はありません 製造者名 楠部弥弌 材質 陶磁器 管理番号 kusubeyaichi-tori-002 商品詳細 東天紅鶏(トウテンコウ)は、ニワトリの品種の一つ。声良・唐丸とともに日本3大長鳴鶏の一つとして知られ、昭和11年9月日本の天然記念物に指定された。東天紅という名称は、夜明けの東の空が紅に染る頃、天性の美声で謡うところから命名されたといわれている 楠部弥弌 作風は多技多彩で知られる。特に彩延と名付けた釉下彩磁は独自のものである。また京焼の伝統を踏まえた色絵は優美と言われる 楠部弥弌 陶歴 1897年京都市東山区に父千之助、母とみの四男として生まれる。 父は楠部貿易陶器工場を経営。 1912年京都市立陶磁器試験場付属伝習所入所。 1915年同伝習所卒業。 陶磁青年会主催の展覧会で奨励賞受賞。 粟田山にアトリエを借り陶芸生活を始める。 1918年粟田口の工房に移り、本格的に陶芸にとりくむ。 川上拙以、向井潤吉、黒田辰秋、河井寛次郎らと交友を結ぶ。 1920年八木一艸、川村喜太郎、道林俊正、河合栄之助、荒谷芳景 らと作陶家団「赤土」規約を発表。大阪高島屋にて赤土第1会展 1924年パリ万国博覧会に「百仏飾壺」出品受賞。柳 宗悦を知る。 1925年柳 宗悦の民芸運動に関心を持ち、民芸品を収集する。 1926年志智元江(後、倖子と改名)と結婚。日本工芸美術展出品、 宮内省買い上げ。 1927年八木一艸、川村喜太郎、河合栄之助らと耀々会結成。 帝展に工芸部開設、第8会展に入選。 1933年第14回帝展特選受賞、宮内省買い上げ。 1934年帝展無鑑査に推薦される。 1937年パリ万国博覧会にて受賞。 1951年「第7回日展」芸術選奨文部大臣賞受賞。同展審査員。 1952年日展参事となる。 1954年日本芸術院賞受賞。 1958年日展評議員となる。 1962年日本芸術院会員となる。 1963年東京、大阪三越にて第3回個展開催。紺綬褒章受章。 1964年東京、京都国立近代美術館「現代国際陶芸展」出品。 1969年京都市文化功労者となる。日展常務理事就任。 1971年大阪阪神百貨店、東京三越にて「日本陶芸界の頂点・ 楠部弥弌自選展」開催。 1972年毎日芸術賞受賞。文化功労者となる。東京、大阪三越にて 「楠部弥弌新作展」開催。 1973年日展顧問就任。 1975年京都名誉市民となる。 1987年文化勲章受章。 1982年東京三越、京都大丸にて「楠部弥弌茶碗展」開催。 社団法人日本新工芸家連盟名誉会長となる。 時代考証 晩年の作と思われます。
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京焼 清水焼 新開寛山 フィギュリン 午 馬 置物 共箱 文部大臣賞受賞 京都府文化賞特別功労賞 勝馬 日本芸術院賞 受賞
¥5,800
商品は京焼 新開寛山 馬 置物 です。 新開寛山 陶歴 明治45年生まれ 京都府出身。本名は邦太郎 1930年 11回帝展 初入選 染付を主体とした作品で帝展、新文展にて入選を重ねる。 1951年 第7回日展 特選 1974年 改組第6回日展 文部大臣賞受賞 1980年 日本芸術院賞 受賞 1984年 勲四等旭日小綬章 1989年 京都府文化賞特別功労賞 陶器に転向以降は魚や鳥、動物をシンプルにデザインして鉄釉、彩色、釘彫、陶彫、象嵌、など 様々な技法により独自の造形を展開して重厚な作品を発表している。 ○サイズ 高さ16cm 幅19cm 材質 陶器 ○状態 ヒビや割れはありません
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九谷焼 浅蔵五十吉 徳利 酒器 酒瓶 亀甲文 超大型 日本芸術院賞受賞
¥14,800
ヨーロッパの今は有名ブランドとなった磁器も、カオリンなどの鉱脈の発見と、中国の景徳鎮や肥前(有田)の焼物を真似ることでその隆盛を築いたように、九谷焼もまた九谷村金山での磁鉱の発見と、加賀藩主の命により肥前におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を学ばせたという同様の歴史を持ちます。初期のものは『古九谷」とも呼ばれその特徴は「半陶半磁」磁器にも陶器見えることや、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩を使っています。 浅蔵五十吉(東京文化財研究所) 昭 和三十七年 春 色桧陶芸界ノ巨匠北出搭次郎先生門二入リ指導ヲ受ける 昭 和三十八年 春 石川県現代美術展初入選以後連年入選 昭 和三十八年 秋 第八回日展[岩層」花器初入選以来二十三回入選 昭 和 四 十 年 秋 第八回日展入選作「海辺ノ譜」飾盤政府買上 昭 和四十二年 春 石川県現代美術展出品作「自日ノ下二」パネル文部省全国選抜美術展二出陳 昭 和四十三年 春 日本現代工芸美術展初入選 以来五回入選 昭 和四十五年 春 石川県現代美術展「生」次賞 昭 和四十七年 春 石川県現代美術展「或る広場の印象」最高賞 昭 和四十七年 秋 第四回日展「対話の夢」特選 昭 和五十二年 秋 第九回日展 内閣総理大臣賞受賞 日本芸術院賞 受賞 昭 和五十五年 春 日本現代工芸美術展「花映」方器会員賞 昭 和六十一年 秋 第十八回日展「暁二映エル」飾壷特遜 昭 和六十二年 春 石川県現代美術展特別賞受賞 昭 和六十三年 秋 日展委嘱出品以後二回 平 成 十 年 春 小松市文化賞 平 成 十 四 年 秋 石川県文化功労賞授賞 平 成 十 八 年 秋 経済産業功労者、大臣表彰 平 成二十一年 春 伝統九谷焼工芸展「連なる鳥」優秀賞 平 成二十二年 春 伝統九谷焼工芸展「実のり」優秀賞 九谷焼 色絵磁器 染錦 浅蔵五十吉 徳利 酒器 酒瓶 亀甲文 超大型 生涯のテーマ鑑賞性と実用性の両立、図らずもジョサイア・ウェッジウッドと同じ理念でる。 精緻な金襴手で、小紋と幾何学模様と鳥を組み合わせた上絵が特徴的に美しい作品です。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 亀甲文 箱オリジナル木箱入 高さ36cm同径17cm
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有田焼 古伊万里様式 染錦 藤井朱明 朱明窯 吹雪舞う森林 六角 香炉 陶歴あり 文化功労賞受賞
¥24,800
有田焼 有田焼は、一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島藩窯」の三様式に分けられます。 ◆古伊万里様式◆ 濃い染付と金襴手と呼ばれる赤や金の絵の具を贅沢に使った様式です。「柿右衛門」「鍋島藩窯」何れの様式でもないもの ◆柿右衛門様式◆ 濁手とよばれる透明感と暖かみのある乳白色のバックに余白を十分に残し、極めて繊細な黒い線と色鮮やかな赤・緑・黄・青で大和絵的な花鳥風月を左右非対称的で描写的に描いた様式です。 また図柄も「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」などの典型的なパターンを持ちます。 ◆鍋島藩窯様式◆ 青みがかった地肌や櫛歯高台、裏文様に特徴を持つ様式です。 技法染付と赤・青・緑の三色を基調とした「色鍋島」、藍色で精緻に描かれた「藍鍋島」、自然の青翠色の「鍋島青磁」があります。 藤井朱明 朱明窯 陶歴 1962年 日展初入選 以後15回 外務省買上6回 1963年 製陶各社勤務後錦付加工業独立 1971年 九州山口陶磁展新人賞 以後12回入選 1974年 朱明窯開窯 1977年 日本陶芸展入選 以後3回 1978年 中日国際陶芸展入賞 九州山口陶磁展文部大臣賞 1979年 中日国際陶芸展文部大臣賞 以後7回入選 第1回日本新工芸展入選 以後10回連続 1981年 日本新工芸展 日本新工芸賞 1982年 九州新工芸展会員特賞 佐賀美術協会審査員 1983年 日本新工芸連盟会員 九州新工芸展会員特選2回連続 1985年 日展会友 1987年 日本新工芸審査員 1988年 西九州新工芸部会長 1994年 佐賀県芸術文化功労賞 2000年 大英博物館展に出展 その他数々の入選、賞を受賞 日本の四季折々の心象風景を表現した作風でしられています。 優れたデッサン力にデザイン力を併せた稀有な陶芸家です。 東山魁夷の森林を描いたリトグラフに似た印象の『早春』シリーズ 染付で朝靄の森林を描いたもの 「流氷」シリーズ 染付 流氷を描いたもの。 そして本作の「吹雪舞う森林」シリーズなどが人気のシリーズです。 静寂の声が聞こえてくるような作品です。 有田焼 古伊万里様式 染錦 藤井朱明 朱明窯 吹雪舞う森林 六角 香炉 陶歴あり 商品番号 - 色・柄 染錦 箱 高さ 15cm 幅 11㎝ インスタ●
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信楽焼 黒磁釉 角瓶 土瓶型 花入 花瓶 花器 土瓶 紙箱入 土瓶花入
¥5,800
信楽焼 滋賀県甲賀市信楽町を中心に作られる伝統陶磁器、炻器である。 信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であるという特徴を持つ。 温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。 因みに「炎の芸術」としてフランス人が磁器への賞賛を込めてリモージュ窯などに用いる表現である。 信楽焼 黒磁釉 角瓶 土瓶型 花入 花瓶 花器 土瓶 です。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 陶器 サイズ 色 黒磁釉 箱 紙 高さ 22cm 36cm(つる含む) 胴径 11cm
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京焼 清水焼 河京焼 森野嘉光 干支 置物 亥 猪 共箱 置物 京都市文化功労者 日本芸術院賞受賞 オリジナル木箱入
¥4,400
商品は京焼 清水焼 河京焼 森野嘉光 干支 置物 亥 猪 共箱 置物 です。 オリジナル木箱入 森野嘉光 略歴 1899年(明治32年)京都市東山区入に生まれる。 1921年(大正10)京都市立絵画専門学校日本画科を卒業 同年の第3回帝展に卒業制作「比叡の山麓」を出品して初入選する 1926年(大正15年)に第7回帝展にも日本画で入選したが、この間、父親に継いで青磁、辰砂の研究を始め作陶に転じる 1941年(昭和16年)、第4回新文展に「塩釉枇杷図花瓶」を出品して特選を受賞 第二次世界大戦後は清水六兵衛、河合栄之助らとともに京都陶芸家クラブを結成 1963年(昭和38年)「塩釉三足花瓶」で日本芸術院賞を受賞。 1967年(昭和42年)に京都市文化功労者 1968年(昭和43年)に京都府美術工芸功労者に認定 1987年(昭和62年)5月2日、老衰のため京都府立医科大学付属病院で死去。享年88。 2010年肺炎のため死去した。享年82。 子息の森野泰明も陶芸家の道あゆみ 2007年扁壺「大地」で日本芸術院賞受賞。 ○サイズ 高9.5cm 幅14cm 材質 陶磁器 ○状態 ヒビや割れはありません
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京焼 清水焼 鈴木健司 フィギュリン 寅 虎 置物 内閣総理大臣賞受賞
¥7,800
商品は京焼 鈴木健司 フィギュリン 寅 虎 置物 です。 ◆鈴木健司 略歴◆ 昭和10年2月 京都市東山泉涌寺東林町に出生 昭和28年3月 京都市伏見高等学校窯業科 卒業 京都市教育委員会賞受賞 昭和32年3月 京都市立美術大学陶磁器科 卒業 昭和33年10月 専攻科在学中、第13回『日展』に『鳥花瓶』初入選、以後昭和48年までに13回入選を重ねる。 昭和34年3月 京都市立美術大学陶磁器専攻科 修了 昭和34年4月 6代清水六兵衞先生に師事京都陶芸家クラブに入会) 昭和34年 京都東山区泉涌寺東林町に開窯 昭和35年4月 京展にて市長賞受賞(以後1回受賞) 昭和38年4月 紺綬褒賞受賞 昭和38年~44年 現代工芸海外選抜展各展に出品 昭和40年4月 京都市立美術大学陶磁器科に7代清水九兵衞先生のもと講師として6年間教職を勤める。(昭和46年3月退職) 昭和42年4月 『京展』に於て審査員に就任(以後3回) 昭和42年10月 10回『日展』に於て作品『白珠』特選及び北斗賞受賞 昭和43年~51年 現代工芸展に於て審査員、評議員を歴任 昭和45年4月 京都府工芸美術展に於て審査員を歴任(以後3回) 昭和48年11月 第5回『日展』に於て作品『鼓動』特選受賞 昭和50年11月 『日展』出品委嘱に推挙される。 昭和51年3月 京都市東山泉涌寺より京都市山科追分の里に転窯、 昭和52年~63年 日本新工芸展に於て審査員、評議員を歴任 昭和55年7月 滋賀県立図書館壁画に陶板レリーフ作品『円心』を制作 昭和63年7月 関西展』に於て審査員を歴任(以後3回) 昭和63年8月 『日工会』結成に参加 平成2年2月 『日工会』評議員に就任 平成2年10月 第22回『日展』審査員に就任 平成3年5月 第1回『日工会展』審査員に就任(以後6回) 平成3年7月 『日展』会員に就任(華曼陀羅扁壷 出品) 平成3年7月 『日工会』理事に就任 平成10年6月 第8回『日工会展』に於て内閣総理大臣賞受賞 平成10年7月 第30回『日展』審査員に就任(秋韻飾筥出品) 平成15年11月 第35回『日展』審査員に就任(春のコンチェルト出品) 平成16年4月 社団法人『日展』評議員に就任 平成17年1月 京都府文化賞功労賞受賞 社団法人『日展』評議員・審査員 工芸美術『日工会』理事・審査員 工芸美術『創工会』会員 京都府工芸美術作家協会会員 作風は多技多彩で知られる。特に彩?と名付けた釉下彩磁は独自のものである。また京焼の伝統を踏まえた色絵は優美と言われる。 置物類では優れたデッサン力で、動きのある動物を的確に捉えた造形は、日本陶芸界巨匠の片鱗を伺わすものがある。 ○サイズ 親 高17cm 幅24cm 材質 陶磁器 ○状態 ヒビや割れはありません
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京焼 清水焼 鴻応窯 安房幸男 油滴天目 香炉 共箱 銘品 逸品
¥12,800
京焼 年間観光客が5000万人も訪れるという清水寺、清水焼はその清水寺への参道である五条坂界隈に窯元を有していたことを由来として、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人の技法をベースに出来ています。 安房幸男 鴻応窯 商品サイト 昭和47年 信楽焼 修養 丹波立杭焼 修養 昭和52年 大阪似て開窯 昭和53年 関西美術展 新匠工芸会展 入選 昭和57年 日本伝統工芸 近畿支部展 入選 昭和58年 日本伝統工芸 近畿支部展 入選 昭和59年 日本伝統工芸 近畿支部展 入選 昭和60年 鴻応山山麓に移築 鴻応山(大阪府豊能郡豊能町寺田と京都府亀岡市西別院町 境界の山) 日本伝統工芸 近畿支部展 入選 商品は京焼 清水焼 鴻応窯 安房幸男作 油滴天目 香炉です。 裏に陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 油滴天目 箱 オリジナル木箱入 高さ 10.5cm 直径 10cm インスタ●
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京焼 清水焼 六兵衛窯 六代 清水六兵衛 フィギュリン 鶏 酉 鳥 置物 共箱 文部大臣奨励賞 日本芸術院賞受賞
¥7,200
商品は 京焼 清水焼 六兵衛窯 六代 清水六兵衛 フィギュリン 鶏 酉 鳥 置物 共箱です。 ◆六代 清水六兵衛 略歴◆ 東京文化財研究所 アーカイブ 1901年 9月13日 五代目六兵衛の長男として京都に生まれる。幼名正太郎。 1920年 京都市立美術工芸学校絵画科卒業。卒業制作「禿鷹(四曲屏風)」 1923年 京都市立絵画専門学校本科卒業。卒業制作「老梅(二曲屏風)」。12月騎兵第20聯隊入隊。 1925年 4月召集解除、以後父に製陶を学ぶ。 1926年 3月正八位に叙せられる。 1927年 北岡菊子と結婚。 第8回帝展(第四科美術工芸部創設)「母と子花瓶」初入選、以後毎回入選。 1928年 第9回帝展「鸚哥花瓶」 1929年 パリ日本美術展「風神雷神皿」。 1930年 陶芸研究団体「五条会」結成。 聖徳太子奉讃展「班馬置物」 1931年 陶磁器研究のため渡支し古陶器を研究する。 第12回帝展「染付魚文盛花器」 特選 1934年 第15回帝展「銀文果物盛」 特選 京都市美術展「果実文飾皿」 紫章 1936年 改組第1回帝展「瑞鳳文飾皿」 文展招待展「紫翠?花瓶」以後無鑑査。 1937年 第1回新文展「紫翠 花盛」 1938年 東京高島屋で第1回個展開催「黒四君子文花瓶」 第2回文展「★爪壷」 1939年 第3回文展「向日葵花瓶」 審査員 1940年 紀元二千六百年奉祝展「草花文大皿」 1941年 第4回文展「陶器紅彩文壷」 審査員 1942年 第5回文展「紅白梅飾皿」 1943年 第6回文展「菖蒲水指」 1945年 4月中部第137部隊に召集され9月召集解除。 家督相続し第六代六兵衛を襲名。 1946年 第1回日展「蒼松花瓶」 1947年 唐三彩釉を研究完成し「三彩流」と名付ける。 第3回日展「玄窯壷」 1948年 京都陶芸家クラブを結成し新人育成に努力。 1949年 第5回日展「遂花瓶」 1950年 第6回日展「天啓扁壷」 参事となる。 全国陶芸展(東陶会主催)「藤花瓶」文部大臣奨励賞 1951年 第7回日展「耀青壷」 現代日本陶芸展(パリ、チェヌスキ博物館) 春魅花瓶」 1952年 第8回日展「嵯峨野花瓶」 日本陶芸展(イタリア、ファエンツァー陶器博物館)「向日葵飾皿」 東京三越にて六和、六兵衛、洋3人展開催「紫翠片手花瓶」など出品 1953年 新釉を創案し「銹」と名付ける。 第9回日展「青磁国華文花瓶」 印度サンティニイケタン大学博物館に「梅花花瓶」が収蔵される。 1954年 第10回日展「双華飾皿(2点)」出品。そのうち「洋蘭飾皿」がエルミタージュ美術館に収蔵される。日展審査員 1955年 新焼成法を完成し「玄窯」と名付ける。 第11回日展「玄窯叢花瓶」 京都出世稲荷神社の依頼により御神体を作る。 1956年 前年作「玄窯叢花瓶」により日本芸術院賞受賞。 1957年 陶芸団体美工窓園を結成する。 第13回日展「幽静花瓶」 ドイツ交換展「玄窯林花瓶」 1958年 第1回新日展「清香花瓶」審査員、評議員となる。 日ソ展「洋蘭飾皿」 1959年 ベルギー博にてグランプリ受賞。 第2回日展「八芳四萃鉢」 現代陶芸展「玄窯枸橘花瓶」 1960年 第3回日展「玄窯鳥文花瓶」 1961年 清釉赫を完成。 第4回日展「赫班花瓶」 京都市・パリ市共催フランス展「三彩壷」「桔梗飾皿」等 1962年 日本芸術院会員となる。 日本現代工芸美術家協会結成に参加、副会長となる。 第5回日展「三彩藍」 審査員、理事となる。 1963年 紺綬褒賞を受章。 清水六兵衛歴代作品展を東京・大阪・京都で開催し、『歴代作品集』刊行。 第6回日展「染付天霽」 第2回現代工芸展北米展「鳥文壷」 1964年 第3回現代工芸展アメリカ展・カナダ展「金彩春禽譜花瓶」 日本現代工芸中国展「桔梗花瓶」、同メキシコ展「梅飾皿」 国際陶芸展(近代美術館主催)「清香飾皿」 第7回日展「染付藤花譜花瓶」 審査員 「主窯線文花瓶」(ドイツ、ハンブルク東洋博物館所蔵) 1965年 第4回現代工芸展、ベルリン芸術祭参加展、北欧展「玄窯黒鳥文花瓶」、日本文化を中心テーマとしたベルリン芸術祭に日本代表工芸使節として訪独し、欧州諸國、エジプト、中近東諸国を美術視察する。 第8回日展「玄窯線文花器」 1966年 第5回現代工芸展イタリア・南欧展「藍花瓶」 第9回日展「玄窯花瓶」 審査員 1967年 第6回現代工芸展イギリス展「三彩藍方容」 第10回日展「玄窯魚文花瓶」 1968年 第7回現代工芸展東欧展「玄窯草花文鉢」 第11回日展「染付樹花瓶」第4科(工芸美術)審査主任 1969年 作品集『古都での作陶生活』刊行 第1回改組日展「銹秋趣花瓶」 常任理事となる。 第8回現代工芸展「銹?梅花瓶」 1970年 京都市より文化功労者として表彰される。 第2回日展「秋叢壷」 第4科審査主任 第9回現代工芸展「玄窯魚文花瓶」 1971年 「世界の文化と現代芸術」芸術祭(ミュンヘンオリンピック組織委員会文化部)のため映画撮影。 古稀記念清水六兵衛回顧展開催(東京三越)同時に作品集を刊行。 第10回現代工芸展「錦秋花瓶」 日本陶芸展(毎日新聞社主催)「秋叢壷」「秋趣水指」 第3回日展「花菖蒲花瓶」 1972年 古稀記念回顧展開催(大阪高島屋、京都大丸) 勲三等に叙せられ旭日中綬章受章。 第4回日展「秋映」 審査員 1973年 伊勢神宮遷宮を記念し「飛翔陶額」を納める。 第5回日展「古稀彩弦月」 審査員 1974年 作陶五十年を記念し清水六兵衛記念展開催(東京三越)。 第6回日展「芒」 審査員 1975年 清水六兵衛作自選展開催(大阪三越)。 第7回日展「炎陽」 1976年 文化功労者として表彰される。 日本陶磁展(東ドイツ、ロストック・ドレスデン両美術館主催)「玄窯叢花瓶」他2点出品。 第8回日展「秋夜」 1977年 新作茶陶展を開く(東京三越)。 第9回日展「蓬春」、顧問となる。 1978年 喜寿記念清水六兵衛回顧展を東京・大阪で開催。 京都市美術館で清水六兵衛回顧展を開催。 日本陶磁名品展(東ドイツ)「古稀彩歯朶花瓶」「銀緑花瓶」 第10回日展「早蕨」 1979年 日本新工芸家連盟結成代表委員となる。 清水六兵衛(新作・回顧)展を新潟大和で開催。 第11回日展「銀白刻文秋趣」 1980年 清水六兵衛歴代名陶展を東京、大阪、京都、岡山、松江で開催。 4月17日逝去。 正四位に叙せられ、勲二等瑞宝章が贈られる。 (『清水六兵衛作品集』明治書房 1971年 参照) 参考 当代 柾博1954年生まれ 2000年 八代 清水六兵衞を襲名 ○サイズ 親 高10.5cm 幅14cm 材質 陶磁器 ○状態 ヒビや割れはありません
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九谷焼 徳田八十吉 フィギュリン 牛 丑 置物 共箱 石川県指定無形文化財
¥13,300
商品は九谷焼 徳田八十吉 牛 丑 置物 です。 陶歴あり 二代 徳田八十吉 明治40年11月1日生まれ 二代 徳田八十吉 陶歴 1923(大正12)年、初代徳田八十吉の養子となり陶技の修業を始め、「魁星」と号しました。 1926(大正15)年、石川県工芸奨励会会員となりました。 1927(昭和2)年、石川県立小松中学校を卒業しました。 1929(昭和4)年、小松町産業研究生として京都国立陶磁器試験場に派遣されました。 1938(昭和13)年より富本憲吉の指導を受けました。 1951(昭和26)年、日展で特選および朝倉賞を受賞しました。 1956(昭和31)年、2代徳田八十吉を襲名しました。 1958(昭和33)年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。 1976(昭和46)年、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会の相談役・名誉理事に就任しました。 1978(昭和48)年、小松上絵工業組合顧問に就任しました。 1982(昭和57)年、九谷焼技術保存会の会長に就任しました。 1988(昭和63)年、長男・正彦に家督を譲って隠居し、「百吉」と号しました。 初代の伝統的な九谷焼の上絵付け技法を継承する一方で、 異なる二種類の色粘土を練り込んで轆轤成形した後に上絵付けを施す「涌象」等、 新技法の開発にも尽力して堅実さと斬新さを兼ね備えた独自の作風を展開しました。 石川県指定無形文化財に認定され、 日展会員、日本窯業協会評議員、小松市美術文化協会理事等を歴任しました。 ○サイズ 高さ15cm 幅27cm 材質 磁器 ○状態 ヒビや割れ傷などはありません 商品写真に赤く映るものは、光の反射によるものです。
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京焼 清水焼 楠部彌弌 フィギュリン 未 羊 置物 共箱 文部大臣賞受賞 京都市文化功労者 日本芸術院賞受賞
¥16,200
商品は京焼 楠部彌弌 くすべやいち 未 置物 です。 相場格言に「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱とあり、小さく丸まった態様。 楠部彌弌 陶歴 1897年京都市東山区に父千之助、母とみの四男として生まれる。 父は楠部貿易陶器工場を経営。 1912年京都市立陶磁器試験場付属伝習所入所。 1915年同伝習所卒業。 陶磁青年会主催の展覧会で奨励賞受賞。 粟田山にアトリエを借り陶芸生活を始める。 1918年粟田口の工房に移り、本格的に陶芸にとりくむ。 川上拙以、向井潤吉、黒田辰秋、河井寛次郎らと交友を結ぶ。 1920年八木一艸、川村喜太郎、道林俊正、河合栄之助、荒谷芳景 らと作陶家団「赤土」規約を発表。大阪高島屋にて赤土第1会展 1924年パリ万国博覧会に「百仏飾壺」出品受賞。柳 宗悦を知る。 1925年柳 宗悦の民芸運動に関心を持ち、民芸品を収集する。 1926年志智元江(後、倖子と改名)と結婚。日本工芸美術展出品、 宮内省買い上げ。 1927年八木一艸、川村喜太郎、河合栄之助らと耀々会結成。 帝展に工芸部開設、第8会展に入選。 1933年第14回帝展特選受賞、宮内省買い上げ。 1934年帝展無鑑査に推薦される。 1937年パリ万国博覧会にて受賞。 1951年「第7回日展」芸術選奨文部大臣賞受賞。同展審査員。 1952年日展参事となる。 1954年日本芸術院賞受賞。 1958年日展評議員となる。 1962年日本芸術院会員となる。 1963年東京、大阪三越にて第3回個展開催。紺綬褒章受章。 1964年東京、京都国立近代美術館「現代国際陶芸展」出品。 1969年京都市文化功労者となる。日展常務理事就任。 1971年大阪阪神百貨店、東京三越にて「日本陶芸界の頂点・ 楠部弥弌自選展」開催。 1972年毎日芸術賞受賞。文化功労者となる。東京、大阪三越にて 「楠部弥弌新作展」開催。 1973年日展顧問就任。 1975年京都名誉市民となる。 1987年文化勲章受章。 1982年東京三越、京都大丸にて「楠部弥弌茶碗展」開催。 社団法人日本新工芸家連盟名誉会長となる。 作風は多技多彩で知られる。特に彩?と名付けた釉下彩磁は独自のものである。また京焼の伝統を踏まえた色絵は優美と言われる。 置物類では優れたデッサン力で、動きのある動物を的確に捉えた造形は、日本陶芸界巨匠の片鱗を伺わすものがある。 ○サイズ 高11.5cm 幅16cm 材質 陶磁器 ○状態 ヒビや割れはありません
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唐津焼 笹文 粉引 大皿 飾り皿 13代 共箱 中里太郎右衛門 日本芸術院賞受賞 人間国宝 重要無形文化財 中里太郎右衛門 茶道具
¥8,600
唐津焼 歴史 豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、その時に連れ帰った朝鮮人陶工によって生まれたとされる。 同様に歴史を持つ萩焼とは兄弟のような関係と言えるでしょう。 特徴 萩焼とは異なり器面に鉄絵具で李朝風の文様を描くことと、萩焼のように高台の切出がない 茶人好みの器として「一楽二萩三唐津」と謳われいます。 中里逢庵 13代 中里太郎右衛門 44年に13代中里太郎右衛門を襲名。 56年に日展内閣総理大臣賞 59年には同日本芸術院賞を受けるなど入選・入賞を重ねる。 51年、日展評議員 60年から理事。 平成4年、県重要無形文化財に認定 7年に唐津市政功労賞を受けた。 日工会会長。国際陶芸アカデミー会員。 14年以後は中里逢庵の名で活動。 19年日本芸術院会員。 21年3月死去 本商品は唐津焼 笹文 粉引 大皿 飾り皿 13代 共箱 中里太郎右衛門 日本芸術院賞受賞 裏には陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 色 笹文 箱 オリジナル木箱入 高さ 4.2cm 直径 21.2cm
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有田焼 鍋島藩窯様式 染付 山水紋 魯山窯 香炉 茶道具 香道具
¥6,800
有田焼 有田焼は、一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島藩窯」の三様式に分けられます。 ◆古伊万里様式◆ 濃い染付と金襴手と呼ばれる赤や金の絵の具を贅沢に使った様式です。「柿右衛門」「鍋島藩窯」何れの様式でもないもの ◆柿右衛門様式◆ 濁手とよばれる透明感と暖かみのある乳白色のバックに余白を十分に残し、極めて繊細な黒い線と色鮮やかな赤・緑・黄・青で大和絵的な花鳥風月を左右非対称的で描写的に描いた様式です。 また図柄も「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」などの典型的なパターンを持ちます。 ◆鍋島藩窯様式◆ 青みがかった地肌や櫛歯高台、裏文様に特徴を持つ様式です。 技法染付と赤・青・緑の三色を基調とした「色鍋島」、藍色で精緻に描かれた「藍鍋島」、自然の青翠色の「鍋島青磁」があります。 魯山窯 【魯山窯の歴史】 1780年(文化年間)頃 魯山窯の祖は、鍋島藩窯の御用陶工となり陶芸の技を磨き後世に託した。 昭和44年6月 魯山製陶所として法人化 先代当主小笠原利夫は、更に技術の安定と地域づくりを本格化し、伊万里陶芸界の雄となり理事長に推される。 昭和61年10月 小笠原利夫没 次男小笠原和生がこれを受け継ぐ。絵付けの顔料を吟味し、手書きによる入念な絵付けを意識し、色鍋島の窯元にふさわしい陶磁器造りを進める。 平成9年4月 有限会社魯山窯へ商号変更、現在に至る。 有田焼 鍋島藩窯様式 染付 山水紋 魯山窯 香炉 裏には陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 磁器 染付 山水紋 サイズ 高さ 9cm 口径/幅 11cm インスタ●
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京焼 清水焼 字紋 香炉 藤平正文 藤平陶芸 茶道具 共箱
¥10,800
京焼 清水焼 年間観光客が5000万人も訪れるという清水寺、清水焼はその清水寺への参道である五条坂界隈に窯元を有していたことを由来として、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人の技法をベースに出来ています。 藤平陶芸 藤平正文 944 京都高等工芸学校に入学 病気のため中途退学 1945 藤平陶芸にて作陶 1957 第13回 日展にて特選・北斗賞受賞 1960 イタリア・フィレンツェ国際陶芸展 1963 第6回新日展にて菊花賞受賞 京都府文化功労賞受賞 1968 現代陶芸の新世代展 陶芸の現在-京都から展 1970 現代の陶芸ヨーロッパと日本展 1973 日本陶磁協会賞受賞 1974 中南米巡回展 1976 東独巡回日本陶磁名品展 1978 西ドイツ巡回日本陶磁名品展 1982 アメリカ・カナダ巡回展 1983 現代日本の工芸展 1985 現代日本美術の展望展 1990 京都美術文化大賞受賞 1991 京都市文化功労賞受賞 本商品は京焼、藤平正文作の字紋香炉です。 裏に陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 字紋 箱 オリジナル箱入 高さ 14cm 胴径 9.5cm インスタ●
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九谷焼 上出喜山 上出長右衛門 上出長右衛門窯 染錦 カ盃 杯 共箱 陛下御下賜品 皇室御用窯 手描き
¥4,500
ヨーロッパの今は有名ブランドとなった磁器も、カオリンなどの鉱脈の発見と、中国の景徳鎮や肥前(有田)の焼物を真似ることでその隆盛を築いたように、九谷焼もまた九谷村金山での磁鉱の発見と、加賀藩主の命により肥前におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を学ばせたという同様の歴史を持ちます。初期のものは『古九谷」とも呼ばれその特徴は「半陶半磁」磁器にも陶器見えることや、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩を使っています。 3代上出喜山に師事。 上出長右衛門窯 明治十二年 石川県能美市に九谷焼問屋として創業 明治三十年 九谷焼製造を開始する 昭和十六年 本窯を導入、この頃より「上出長右衛門窯」と号す。 昭和二十七年 窯業協会紙に工芸博士小沢卯詐欺三郎先生と 共同研究の「九谷焼杯土の基礎研究」と題し論文を発表する 昭和四十四年 明治神宮御依頼による「花瓶」を献納の栄を賜る 昭和四十六年 朝鮮陶磁の研究に訪朝する 皇室御用窯指定となる。 昭和四十七年 創造美術会陶芸部に推挙される 昭和四十八年 全国現代茶陶展に委嘱出品する 4代目を襲名 昭和四十九年 東大名誉教授故三上次男先生を講師にヨーロッパ陶磁研修に八カ国を廻る 昭和五十一年 全国煎茶道大会に委嘱出品する 昭和五十五年 中国景徳鎮に於いて中国陶器の研究をする 昭和五十八年 昭和天皇御来県の折、御使用の御器制作の栄を賜る 平成二年 石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会理事長に推挙される 平成五年 伝統的工芸品産業の振興への功績を讃えられ通商産業大臣表彰を受ける 平成八年 四代目、藍綬褒章を受く 平成十年 四代目、永年の功績により寺井町より表彰される 平成十二年 沖縄サミットの折、首脳晩餐会の器に使用される 平成十五年 四代目、勲五等雙光旭日章を受く 平成十九年 「PUMA with MARUWAKA KUTANI」に参加。 九谷焼で自転車の各パーツを製作する 平成二十年 髑髏のお菓子壷「花詰様式」を製作。東京スパイラルガーデンにて 開催されたアートフェア「ウルトラ001」にて発表する 平成二十一年 金沢茶房一笑にて「ちゅう右衛門翁・大作陶展」を開催する 平成二十二年 東京スパイラルガーデンにて大規模な個展 「上出・九谷・惠悟展 九谷焼コネクション」を開催する 陶技研究のため一時渡韓後、、皇室御用窯指定となる。 陛下御下賜品指定となり英、オランダ、ブラジル、米などの国賓の品 九谷焼 上出長右衛門 上出長右衛門窯 染錦 盃 杯 共箱 手描き です。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 色 草花文 箱 高さ カップ5.8cm 口径/直径 カップ9.5cmソーサー14.5cm
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九谷焼 色絵 草花文 酒器 一対 共箱 北出昂太郎 青泉窯 北出塔次郎 北出窯 瓢箪形 徳利 220ml 瓶
¥7,800
ヨーロッパの今は有名ブランドとなった磁器も、カオリンなどの鉱脈の発見と、中国の景徳鎮や肥前(有田)の焼物を真似ることでその隆盛を築いたように、九谷焼もまた九谷村金山での磁鉱の発見と、加賀藩主の命により肥前におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を学ばせたという同様の歴史を持ちます。初期のものは『古九谷」とも呼ばれその特徴は「半陶半磁」磁器にも陶器見えることや、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩を使っています。 北出昂太郎 金沢美術工芸大学卒業後、色絵研究と制作に専念し、将来を嘱望されていたが、昭和六十一年惜しくも夭折した。 1898-1968 北出塔次郎 祖父 日展評議員、金沢美術大学名誉教授 陶芸作家 43年九谷焼では初めての日本芸術院賞を獲得 伝統技法の踏襲と、モダンで洗練された表現を両立させた「青泉窯」の北出塔次郎、不二雄、昂太郎の三代 本商品は九谷焼 色絵 草花文 酒器 一対 共箱 北出昂太郎 青泉窯です。 天才の数少ない遺作 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 磁器 色 色絵 箱 オリジナル木箱入 高さ 15cm 幅 8cm 容量 220ml
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九谷焼徳田八十吉 午 馬 フィギュリン 置物 共箱 文化勲章
¥13,500
本商品は 九谷焼 徳田八十吉 午 馬 フィギュリン 置物 共箱 文化勲章 です。 陶歴あり 二代 徳田八十吉 明治40年11月1日生まれ 二代 徳田八十吉 陶歴 1923(大正12)年、初代徳田八十吉の養子となり陶技の修業を始め、「魁星」と号しました。 1926(大正15)年、石川県工芸奨励会会員となりました。 1927(昭和2)年、石川県立小松中学校を卒業しました。 1929(昭和4)年、小松町産業研究生として京都国立陶磁器試験場に派遣されました。 1938(昭和13)年より富本憲吉の指導を受けました。 1951(昭和26)年、日展で特選および朝倉賞を受賞しました。 1956(昭和31)年、2代徳田八十吉を襲名しました。 1958(昭和33)年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。 1976(昭和46)年、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会の相談役・名誉理事に就任しました。 1978(昭和48)年、小松上絵工業組合顧問に就任しました。 1982(昭和57)年、九谷焼技術保存会の会長に就任しました。 1988(昭和63)年、長男・正彦に家督を譲って隠居し、「百吉」と号しました。 初代の伝統的な九谷焼の上絵付け技法を継承する一方で、 異なる二種類の色粘土を練り込んで轆轤成形した後に上絵付けを施す「涌象」等、 新技法の開発にも尽力して堅実さと斬新さを兼ね備えた独自の作風を展開しました。 石川県指定無形文化財に認定され、 日展会員、日本窯業協会評議員、小松市美術文化協会理事等を歴任しました。 ○サイズ 高さ12cm 幅18cm ○状態 非常に状態の良いお品、ヒビ、傷み擦れ割れなどはありません 出品商品は非常に状態の良いお品です。 お写真の物が全てです。
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九谷焼 赤絵 草花文 酒器 一対 共箱 北出塔次郎 北出窯 瓢箪形 徳利 瓢 瓶 日本芸術院賞 受賞
¥9,800
ヨーロッパの今は有名ブランドとなった磁器も、カオリンなどの鉱脈の発見と、中国の景徳鎮や肥前(有田)の焼物を真似ることでその隆盛を築いたように、九谷焼もまた九谷村金山での磁鉱の発見と、加賀藩主の命により肥前におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を学ばせたという同様の歴史を持ちます。初期のものは『古九谷」とも呼ばれその特徴は「半陶半磁」磁器にも陶器見えることや、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩を使っています。 北出塔次郎 陶歴 東京文化財研究所 アーカイブ 明治31年(1898)兵庫県に生まれ 大正5年関西大学法科を中退 大阪美術学校で矢野喬村に学ぶ 昭和11年富本憲吉に師事した。 昭和21年金沢美術工芸専門学校講師 昭和23年 第1回金沢文化賞 受賞 昭和24年金沢美術工芸専門学校 教授 昭和26年には北国新聞文化賞を受賞 昭和34年 石川県文化財専門委員 昭和38年石川県陶芸協会会長 昭和39年日展文部大臣賞 昭和44年5月、日本芸術院賞 受賞 商品は九谷焼 赤絵 草花文 酒器 一対 共箱 北出塔次郎 北出窯 瓢箪形 徳利 瓢 瓶です。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 磁器 赤絵 草花文 箱 オリジナル木箱入 高さ 13cm 胴径 7cm 容量 180ml(満水時)
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京焼 鶴形皿 鶴型皿 青白磁 青磁 飾り皿 大皿 伯山作 翔鶴文 木製皿立付 平安 逸品 31cm
¥18,000
京焼 現在も年間観光客が5000万人も訪れるという清水寺、清水焼はその清水寺への参道である五条坂界隈に窯元を有していたことを由来として、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人の技法をベースに出来ており、そのためその特徴を探すことは難しい。しかし近年では京焼としてのイメージを確立することにも主眼が置かれ、一度焼成した後に上絵付けを施し雅な雰囲気を醸し出しています。 また『派手さ」「薄さ」などの特徴があるものが多くあります。 本商品は京焼 鶴形 鶴型皿 青白磁 飾り皿です。 木製 皿立て付です。 裏には陶印があります。 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 磁器 色 翔鶴文 高さ 23cm 幅 31cm インスタ●
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備前焼 棧切り 胡麻 花器 花瓶 自然釉 大壷 浩祥作 逸品 名品 超大型
¥73,000
備前焼は、田んぼ掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれると説明されています。(成分比を公開していない) また1200度の高温で焼成することで丈夫な焼き物としても知られています。 一般的に1200度の高温で焼成するには一定量のカオリン必要としますが、岡山県備前市周辺は日本で僅か2カ所しかないカオリンの産出地でもあります。 ◆胡麻◆ 備前焼では自然釉によって流れ出た焼器物の表面にあたかも胡麻をふりかけたようになっていることから胡麻焼き(胡麻模様)と呼ばれます。 ◆棧切り(ざんぎり)◆ 窯床に置いてある作品が炭に埋もれ、直接炎があたらないことと、空気の流れが悪いことが相まって還元焼成による窯変のこと。 本商品は備前焼、浩祥作 胡麻の大壷です。 裏に陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 備前焼の土がない 備前焼「良質な備前粘土は仕上がりの色合いの幅が違います。黒や灰色ではなく、もっといろんな色が出る。100パーセント純粋な備前粘土なら、本当に鮮やかな色が出ます」。 一方 近年良質な粘土層がある伊部地区では「よい粘土層」の場所に、いずれも上に集合住宅、線路、コンビニなどが建っていて土が見つからない状況が生まれています。 新たな良質の粘土層を探す大変な労力を必要としているためです。 材質 陶器 色 胡麻 高さ 30cm 口径 胴径 5cm 28cm
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信楽焼 ビードロ流し 土瓶花入 掛花入 茶道具 花入 花生 花瓶 台座付 吊花入
¥4,800
信楽焼 滋賀県甲賀市信楽町を中心に作られる伝統陶磁器、炻器である。 信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であるという特徴を持つ。 温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。 因みに「炎の芸術」としてフランス人が磁器への賞賛を込めてリモージュ窯などに用いる表現である。 本商品は器面にビードロ釉を施した土瓶花入です。 裏に陶印があります。 商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。 材質 陶器 ビードロ柚 高さ 12cm22cm(ツル含) 幅 13cm
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有田焼 藤井錦彩 染錦 桜絵 菖蒲絵 扇割 美術品 鶴首 花瓶 共箱 参考価格 475,200円 細密画 微細画
¥168,000
藤井錦彩 陶歴-有田焼陶芸作家藤井錦彩のプロフィール 有田に生まれ家業が窯元で生まれた時より陶磁にふれ恵まれた環境で育ち、陶磁工を志し有田窯業大学校ろくろ科に入校されたのが私との出会いでした。有田は、地場産業が磁器製造であるから優秀な陶工が多いのは当然である。新芽がすくすくと育つには、古いしがらみがあまりにもあり、その傘の保護の元に逃げ込みがちになるのである。そのような状況にあって藤井錦彩さんは毅然として着実に自分のスタイルを探求し続けてきた。課題としてきた、プラチナの銀色と金彩で彩る調子は今やすっかり独自の境地を確立してきている。今後は一層の精進によって幅と深みをつけられることを願ってやまない。 文・重要無形文化財(人間国宝)井上萬二 藤井 錦彩 プロフィール 1976 佐賀県有田に生まれる 1991 佐賀県立有田窯業大学校ロクロ科入校 重要無形文化財(人間国宝)井上萬ニ氏に師事する 梶原茂正氏に師事する 1993 照井一玄氏に師事する 現代の名工 金武自然氏に師事する 1994 長崎陶磁展 朝日新聞社賞 西部工芸展 二点入選 九州山口陶磁展 入選 知新会展 佳作 勤労者美術展 動労大臣賞 1席 朝日陶芸展 入選 出石磁器トリエンナーレ展 入選 佐賀県展 入選 1995 長崎陶磁展 2席 西部工芸展 入選 日工会展 入選 九州山口陶磁展 3席 知新会展 佐賀県知事賞 知新会展 入選 佐賀県展 奨励賞 知新会会員推挙 1996 長崎陶磁展 入選 九州山口陶磁展 世界炎博記念大賞 アジア工芸展 入選 佐賀県展 入選 1997 佐賀県立有田窯業大学校上絵付科入校 現代の名工 川原留雄氏に師事する 各窯業地を巡り陶画の研修をする 長崎陶磁展 入選 佐賀県展 入選 1998 長崎陶磁展 NBC放送賞 西部工芸展 入選 九州山口陶磁展 入選 福岡 ギャラリー福太郎にて個展 長崎 サウンドギャラリーにて個展 佐賀県美術協会展 入選 アジア工芸展 入選 九州山口陶磁展 入選 九州新工芸展 入選 佐賀県展 入選 長崎 スパジオアスールにて個展 1999 雇用促進事業団伊万里職業能力促進ポリテク センターにて講師としてロクロ指導 長崎陶磁展 入選 九州山口陶磁展 入選 福岡 ギャラリーおいしにて個展 佐賀県美術協会展 入選 アジア工芸展 入選 長崎サウンドギャラリーにて個展 佐賀県展 佐賀県知事賞 1席 佐賀県展 永竹威賞 福岡 ギャラリー福太郎にて個展 日象展 パイロット賞 日本表象美術協会会友推挙 一水会展 入選 2000 以降も入選多数のため省略 有田に於いては次代の人間国宝と見られている。 姉妹品参考価格 475,200円 材質 磁器 色 錦彩紋 箱 オリジナル木箱入 高さ 32cm 胴径 21cm インスタ●
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