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色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 花器 花瓶 酒器 徳利 一対 2本 柿右衛門様式
¥70,000
サイズ 胴径9.5cm 高さ19cm 容量440ml 状態/製造年代 美品 状態の良いお品 柿右衛門様式 色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 花器 花瓶 酒器 徳利 一対 2本 合せ箱 濁し手 レベル 原材料の陶石(カオリン)などに鉄分が含有する場合があり、それらを粉砕、焼成すると青みが出て、本来の濁手の白さが出ない 白さに僅かな青みを感じます。 江戸時代 後期~幕末 製造者名 - 材質 磁器 管理番号 kakiemonyoushiki-sakaki-AA76 商品詳細 商品は 柿右衛門様式 色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 一対 2本 です。 時代考証 〇市場分析 この器はオランダ東インド会社から輸出が打ち切られ、以降国内需要を探るなかで、 当時経済力のあった神社、仏閣向けの、「神具 榊」「仏具 花瓶」の供給を目的とした作品である。 〇器面には鳳凰文 瓔珞文が描かれている。 「鳳凰」 中国神話の伝説の鳥、超越的な鳥を意味し、神道を祀る豪華な神棚には、 鳳凰が彫刻された神棚が現在も販売されています。 「瓔珞」 仏堂・仏壇の荘厳具のひとつです。吊瓔珞飾り 瓔珞灯篭が現在も販売されています。 このことから神仏習合の歴史を物語っている。 〇製造年 1757年 輸出制限以降の江戸時代 後期 〇背景 寺請制度 徳川幕府は国家政策として地域に寺を建立し、檀家と寺の関係を強固にする事で、より国家の組織化し、キリシタンの排除を図った。 (住職「寺請証文」という身分証 発行) また神社は仏教色を増すことで寺の建立政策を後押し、神仏習合が行われた。 鎮守の森で祀られる氏神様は、大衆信仰として地域に根ざした村人の集合の場所として益々盛んになった。 一方明治政府は 「神社神道」神道の国教化を進め、 他の諸宗教とは異なる公的な扱いとして、神仏分離政策を実行した。 佐賀県西部地方には、約五〇〇か所にのぼる近世磁器窯跡が確認されているが、調査が終わったのはまだ一部である。 前掲の柿右衛門窯跡 B窯においても一段の水平長最大約83mもあり、機械化が困難なこと、また陶片などの年代測定 (熱ルミネッセンス(TL)年代測定)もあるものの、理化学的に正確な年代測定は困難であることから、今後も調査は 進まないものと思われる。 また東京国立博物館 画像データベースに掲載されている 江戸期 柿右衛門様式 作品 底面の掲載写真のある3点は 何れも落款はない (輸出用の仕向け品には落款がなかった可能性高い) さらに酒井田家の秘伝書「土合帳」と図柄の突合が難しい以上 酒井田柿右衛門作の否かについての確証は難しいことを理解した上で入札してください
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色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 花器 花瓶 酒器 徳利 柿右衛門様式
¥35,000
サイズ 胴径9.5cm 高さ19cm 容量440ml 状態/製造年代 美品 状態の良いお品 柿右衛門様式 色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 花器 花瓶 酒器 徳利 合せ箱 濁し手 レベル 原材料の陶石(カオリン)などに鉄分が含有する場合があり、それらを粉砕、焼成すると青みが出て、本来の濁手の白さが出ない 白さに僅かな青みを感じます。 江戸時代 後期~幕末 製造者名 - 材質 磁器 管理番号 kakiemonyoushiki-sakaki-AA77 商品詳細 商品は 柿右衛門様式 色絵花鳥文 瓔珞文 鳳凰文 神具 榊 です。 時代考証 〇市場分析 この器はオランダ東インド会社から輸出が打ち切られ、以降国内需要を探るなかで、 当時経済力のあった神社、仏閣向けの、「神具 榊」「仏具 花瓶」の供給を目的とした作品である。 〇器面には鳳凰文 瓔珞文が描かれている。 「鳳凰」 中国神話の伝説の鳥、超越的な鳥を意味し、神道を祀る豪華な神棚には、 鳳凰が彫刻された神棚が現在も販売されています。 「瓔珞」 仏堂・仏壇の荘厳具のひとつです。吊瓔珞飾り 瓔珞灯篭が現在も販売されています。 このことから神仏習合の歴史を物語っている。 〇製造年 1757年 輸出制限以降の江戸時代 後期 〇背景 寺請制度 徳川幕府は国家政策として地域に寺を建立し、檀家と寺の関係を強固にする事で、より国家の組織化し、キリシタンの排除を図った。 (住職「寺請証文」という身分証 発行) また神社は仏教色を増すことで寺の建立政策を後押し、神仏習合が行われた。 鎮守の森で祀られる氏神様は、大衆信仰として地域に根ざした村人の集合の場所として益々盛んになった。 一方明治政府は 「神社神道」神道の国教化を進め、 他の諸宗教とは異なる公的な扱いとして、神仏分離政策を実行した。 佐賀県西部地方には、約五〇〇か所にのぼる近世磁器窯跡が確認されているが、調査が終わったのはまだ一部である。 前掲の柿右衛門窯跡 B窯においても一段の水平長最大約83mもあり、機械化が困難なこと、また陶片などの年代測定 (熱ルミネッセンス(TL)年代測定)もあるものの、理化学的に正確な年代測定は困難であることから、今後も調査は 進まないものと思われる。 また東京国立博物館 画像データベースに掲載されている 江戸期 柿右衛門様式 作品 底面の掲載写真のある3点は 何れも落款はない (輸出用の仕向け品には落款がなかった可能性高い) さらに酒井田家の秘伝書「土合帳」と図柄の突合が難しい以上 酒井田柿右衛門作の否かについての確証は難しいことを理解した上で入札してください
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柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 四方香炉 香炉 角福 合せ箱 黄金比 デザイン 十代 酒井田柿右衛門?
¥300,000
商品詳細 古美術 積善堂 柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 合せ箱 サイズ 一辺 5.7cm 高さ9.2cm (蓋含む) 状態/製造年代 非常に状態の良いお品 黄金比 「デザインを美しくする」 効果があるとされる。ミロビーナス 五重塔 など 黄金比 1: 1.618033 本品 9.2/5.7=1.614 柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 木箱は合せ箱 濁し手 レベル 濁し手は1953年十二代柿右衛門 と(13代)親子によって濁手素地の復元に成功する。 原材料の陶石に鉄分が含有する場合があり、それらを粉砕、焼成すると青みが出て、本来の濁手の白さが出ない 復元に成功の本当の意味は、不純物の混入の限界値を経験則から導き出したところにある。 こうして再現性が確立され「濁し手」が重要無形文化財に指定されたのである。 つまりこのことは1953年以前にも完成度の高い濁し手はあったことを意味する。 本商品は非常に高い白さがあります。ほぼ完全な濁し手作です。 幕末期から明治期 製造者名 材質 磁器 管理番号 kakiemon-kouro-AA75 商品詳細 商品は黄金比でデザインされた柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 合わせ箱です。 時代考証 〇歴史的変遷 酒井田柿右衛門家 1685年 柿右衛門銘の土型が酒井田家に伝世している(以後、明治までの土型約800点が伝世している)。 1690年 酒井田家の秘伝書「土合帳 赤絵具覚(他見無用)」記される。 1757年 オランダ東インド会社の有田磁器輸出が打ち切られる。 1770年 赤絵屋窯登録限定数 16軒 これを永代の限定数と定めた。 1787年~1793年 寛政の改革 質素・倹約が叫ばれ、赤絵から染付へ 七代以降、濁し手 が中断する。 七代から八代にかけては四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多い。 八代~十代が後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作 十一代酒井田柿右衛門 1845(弘化2)年~1917(大正6)年 十一代酒井田柿右衛門は、「角福(渦福)」銘を商標登録します。 1757年に以降には輸出が難しくなったにも拘わらず、藩は赤絵屋窯の承認数増やした、さらに寛政の改革などで質素・倹約が叫ばれたため 高級品市場は急速に停滞し、赤絵屋窯の多くは日用品へ大きく舵をきったのであろう。 1883年、工業所有権の国際的保護を定めたパリ条約が締結 1888年、意匠登録制度 施行 1893年 シカゴ万国博覧会 一方柿右衛門窯は丁寧な成形と入念な絵付けが家門の誇りであり、分業制を支える優れた技巧の職人達の生活を支えるため、 「角福(渦福)」銘を商標登録したのであろう。 この時代共箱を制作する習慣も無かったのである。 年代 何代 落款 作品の傾向 窯元 経営 操業時期 17世紀後半 柿右衛門窯跡 段階式連房登窯 主に角福・渦福 柿右衛門様式 主に染付 佐賀県西松浦郡有田町南山丁 (柿右衛門窯裏手国の史跡に指定 優品を専業的に生産した登り窯 操業時期 17世紀後半~18世紀中半 南川原窯ノ辻窯 A窯~E窯 窯跡 優品 主に渦福 藩主導による運営 史跡指定なし 操業時期 17世紀後半 長吉谷跡 優品 主に角福・渦福 染付・白磁・青磁・鉄釉・瑠璃釉 藩主導による運営 史跡指定なし (1711~1764年) 七代 酒井田柿右衛門 角福 濁手 柿右衛門様式 (1734~ 1781年) 八代 酒井田柿右衛門 角福 後期柿右衛門 染付 (1776~ 1836年) 九代 酒井田柿右衛門 角福・渦福 後期柿右衛門 染付 (1805~ 1860年) 十代 酒井田柿右衛門 角福・渦福 後期柿右衛門 染付 1845~1917年(大正6) 十一代 酒井田柿右衛門 渦福 万博 出展 「シカゴ万国博覧会」二等有功賞受賞 作品少ない 「角福(渦福)」銘を商標登録 その可否をめぐる訴訟 経済的困窮 (1906~1982年) 十二代 酒井田柿右衛門 渦福 1958年ブリュッセル万国博覧会グランプリ受賞 十三代と協力して濁し手 復活 合資会社を設立し、赤絵技術と「角福」銘を供与 理念 相違 関係解消 その後和解 以後名義使用せず 佐賀県西部地方には、約五〇〇か所にのぼる近世磁器窯跡が確認されているが、調査が終わったのはまだ一部である。 前掲の柿右衛門窯跡 B窯においても一段の水平長最大約83mもあり、機械化が困難なこと、また陶片などの年代測定 (熱ルミネッセンス(TL)年代測定)などもあるものの、理化学的に正確な年代測定は困難であることから、今後も調査は 進まないものと思われる。 東京国立博物館 画像データベースに掲載されている 江戸期 柿右衛門様式 作品 底面の掲載写真のある3点は 何れも落款はない (輸出用の仕向け品には落款がなかった可能性高い 他国に出自国を知らせないため) 酒井田家の秘伝書「土合帳」と図柄の突合が難しい以上 柿右衛門 否かについてのこれ以上の高い確証は難しいことを理解した上で入札してください 浮選 法 に よ る陶 石 の硫化 鉄 除去 につ い て 磯 松 嶺 造氏 同志社大学工学部 論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakoronbunshu1953/25/7/25_7_547/_pdf/-char/en
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古九谷 青手 錦手 瓢箪 色絵山水文 唐草 角福 伊万里 酒器 徳利 花瓶 花器 山辺田窯 角福印書体
¥75,800
サイズ 口径9.5cm 高さ19cm 状態/製造年代 美品 ほぼ完品 古九谷 瓢箪 徳利です。 有田 山辺田窯 などで焼かれた古九谷 17世紀中期 江戸中期 材質は器肌面の色合いに白さが磁器という印象です。 瓢箪の形状、丁寧に描かれた唐草紋 角福文、材料の質、焼成温度などか17世紀中期 江戸中期頃と推定されます。 古九谷様式について 九谷焼は現在の石川県加賀市で江戸時代の17世紀に始まったとされる。 このうち、華麗な色使いと斬新な絵柄が特徴の初期の焼き物を「古九谷」と呼ぶ。 この古九谷は、九谷ではなく佐賀・有田で焼かれ、伊万里から出荷されたのではないかという説がある。(あった。というのが正しいのかもわかりません) 17世紀の古九谷が磁器で、再興九谷(本多貞吉 粟生屋源右衛門)など 興した人々の活躍年代は18世紀から19世紀)が半磁器であったことだ。 100年も後で興した再興九谷の方が焼成温度も低くくカオリンが必要量含まれてなかったのだ。 素地の器肌の色がやや黄を帯びている。 磁土の精製技術がありながら、鉱山も分かっていながら、なぜ半磁器になったか? 九谷VS有田の論争は長年、学会を二分してきた。 *山辺田窯跡の陶磁片から、確実に「古九谷」の大皿が発見された。角福印書体 その後平成12年には「鍋島勝茂所蔵 色絵大皿」の公表された。 佐賀鍋島家に伝えられてきた初代藩主、鍋島勝茂所蔵の色絵大皿だ。 2枚あり1枚は中国景徳鎮窯のもの、もう1枚はそれをまねて焼かれた有田製のものだった。 年代も確かで、有田における色絵磁器創生の状況を示すものだった。まさに「古九谷」と呼ばれてきたものだったからだ。 *山辺田窯 (佐賀県西松浦郡有田町黒牟田丙2983?2991,3294) 有田町歴史民俗資料館 公益財団法人 戸栗美術館 管理番号 KA-13
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萩焼 茶碗 茶道具 抹茶碗 晴雲山窯 初代 茶道具 古萩
¥18,200
ご覧頂きましてありがとうございます 商品詳細 萩焼 茶碗 茶道具 抹茶碗 晴雲山窯 初代 岡田権左衛門 茶道具 古萩 サイズ 高さ7.5cm 口径12.5cm 状態/製造年代 美品 ヒビや割れはありません 貫入があります。 江戸後期から明治初期 商品は萩焼、 萩高麗晴雲山窯 初代 岡田権左衛門作の茶碗と思われます。 陶印には「高麗雲山関」とあります。 時代考証 萩高麗焼窯元 晴雲山窯 晴雲山岡田窯 1782(天明2)年に萩城下の小畑に開窯 (晴雲山の開祖・権左衛門は肥前国に生まれて陶業に従事していましたが、深く技を極める為に諸国を巡歴し萩城下の小畑に居構える。) 1796(寛政8)年に家臣の列に取り立てられて族籍・俸禄を賜りました。 (長門国萩藩9代藩主・毛利斎房候に献納) 初代 岡田権左衛門 生年不詳~1811(文化8)年 管理番号 HA-2
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京焼 清水焼 染付 瓢箪 古染付 窓絵 山水文 花瓶 花器
¥4,600
メーカー名 シリーズ名 材質 グレード 京焼 古染付 窓絵 山水文 磁器 ファーストグレード 京焼 清水焼は京都 清水寺門前界隈にある焼き物で、地方の特色ある焼き物を取り入れ吸収することで発展した歴史を持ちます。 本商品は京焼 清水焼 染付 瓢箪 古染付 窓絵 山水文 花瓶 花器です。 裏に陶印があります。 商品にはヒビ、割れ、などありません。 商品番号 色・柄 古染付 窓絵 山水文 高さ 22cm 最大幅/胴径 12cm
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京焼 清水焼 仁阿弥道八 雪笹文手鉢 共箱 二代 高橋 道八 博物館クラス
¥400,000
メーカー名 シリーズ名 材質 グレード 京焼 清水焼 仁阿弥道八 雪竹図 陶器 ファーストグレード 京焼 清水焼 年間観光客が5000万人も訪れるという清水寺、清水焼はその清水寺への参道である五条坂界隈に窯元を有していたことを由来として、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人の技法をベースに出来ています。 仁阿弥道八 (二代 高橋 道八) 陶歴 1804年(文化元年)に父・初代道八が亡くなり家業を継ぐ 1826年(文政9年)には帝から「仁」の字を賜り、さらに翌年には紀州藩から招かれ、息子(三代道八)や弟子らと共に和歌山偕楽園焼(紀州御庭焼)を創始しました。 1842年(天保13年)に窯業を三代道八に譲って隠居し、伏見桃山に「桃山窯」を築いて制作を続ける。 1855年(安政2年)に73歳 死去 銹絵雪竹文手鉢(仁阿弥道八作) 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/164981 本作品は文化遺産オンライン に掲載される「銹絵雪笹文手鉢」 仁阿弥道八作 の前のパイロット作品と思われます。 本作品は前述の掲載作より一回り大きく、土台は三足ではなく枕を並べた構造である。 そのため構造上、傾きが出やすくまた枕部分の乾きも悪いため、汎用性に問題が生じたのであろう。 また本作品が模写であればサイズは小さくできる上、さらに簡易な三足にするであろうからだ。 箱は所有者が財産の管理と相続後の次世代のために作らせたものである。 本商品は京焼 清水焼 仁阿弥道八 雪笹文手鉢 共箱 二代 高橋 道八 です。 裏に陶印があります。 商品にはヒビ、割れ、などありません。 商品番号 色・柄 雪竹図 箱 高さ 25cm 幅×奥行 28cm×22cm
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