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柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 四方香炉 香炉 角福 合せ箱 黄金比 デザイン 十代 酒井田柿右衛門?
¥300,000
商品詳細 古美術 積善堂 柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 合せ箱 サイズ 一辺 5.7cm 高さ9.2cm (蓋含む) 状態/製造年代 非常に状態の良いお品 黄金比 「デザインを美しくする」 効果があるとされる。ミロビーナス 五重塔 など 黄金比 1: 1.618033 本品 9.2/5.7=1.614 柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 木箱は合せ箱 濁し手 レベル 濁し手は1953年十二代柿右衛門 と(13代)親子によって濁手素地の復元に成功する。 原材料の陶石に鉄分が含有する場合があり、それらを粉砕、焼成すると青みが出て、本来の濁手の白さが出ない 復元に成功の本当の意味は、不純物の混入の限界値を経験則から導き出したところにある。 こうして再現性が確立され「濁し手」が重要無形文化財に指定されたのである。 つまりこのことは1953年以前にも完成度の高い濁し手はあったことを意味する。 本商品は非常に高い白さがあります。ほぼ完全な濁し手作です。 幕末期から明治期 製造者名 材質 磁器 管理番号 kakiemon-kouro-AA75 商品詳細 商品は黄金比でデザインされた柿右衛門様式 色絵花鳥文 角香炉 合わせ箱です。 時代考証 〇歴史的変遷 酒井田柿右衛門家 1685年 柿右衛門銘の土型が酒井田家に伝世している(以後、明治までの土型約800点が伝世している)。 1690年 酒井田家の秘伝書「土合帳 赤絵具覚(他見無用)」記される。 1757年 オランダ東インド会社の有田磁器輸出が打ち切られる。 1770年 赤絵屋窯登録限定数 16軒 これを永代の限定数と定めた。 1787年~1793年 寛政の改革 質素・倹約が叫ばれ、赤絵から染付へ 七代以降、濁し手 が中断する。 七代から八代にかけては四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多い。 八代~十代が後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作 十一代酒井田柿右衛門 1845(弘化2)年~1917(大正6)年 十一代酒井田柿右衛門は、「角福(渦福)」銘を商標登録します。 1757年に以降には輸出が難しくなったにも拘わらず、藩は赤絵屋窯の承認数増やした、さらに寛政の改革などで質素・倹約が叫ばれたため 高級品市場は急速に停滞し、赤絵屋窯の多くは日用品へ大きく舵をきったのであろう。 1883年、工業所有権の国際的保護を定めたパリ条約が締結 1888年、意匠登録制度 施行 1893年 シカゴ万国博覧会 一方柿右衛門窯は丁寧な成形と入念な絵付けが家門の誇りであり、分業制を支える優れた技巧の職人達の生活を支えるため、 「角福(渦福)」銘を商標登録したのであろう。 この時代共箱を制作する習慣も無かったのである。 年代 何代 落款 作品の傾向 窯元 経営 操業時期 17世紀後半 柿右衛門窯跡 段階式連房登窯 主に角福・渦福 柿右衛門様式 主に染付 佐賀県西松浦郡有田町南山丁 (柿右衛門窯裏手国の史跡に指定 優品を専業的に生産した登り窯 操業時期 17世紀後半~18世紀中半 南川原窯ノ辻窯 A窯~E窯 窯跡 優品 主に渦福 藩主導による運営 史跡指定なし 操業時期 17世紀後半 長吉谷跡 優品 主に角福・渦福 染付・白磁・青磁・鉄釉・瑠璃釉 藩主導による運営 史跡指定なし (1711~1764年) 七代 酒井田柿右衛門 角福 濁手 柿右衛門様式 (1734~ 1781年) 八代 酒井田柿右衛門 角福 後期柿右衛門 染付 (1776~ 1836年) 九代 酒井田柿右衛門 角福・渦福 後期柿右衛門 染付 (1805~ 1860年) 十代 酒井田柿右衛門 角福・渦福 後期柿右衛門 染付 1845~1917年(大正6) 十一代 酒井田柿右衛門 渦福 万博 出展 「シカゴ万国博覧会」二等有功賞受賞 作品少ない 「角福(渦福)」銘を商標登録 その可否をめぐる訴訟 経済的困窮 (1906~1982年) 十二代 酒井田柿右衛門 渦福 1958年ブリュッセル万国博覧会グランプリ受賞 十三代と協力して濁し手 復活 合資会社を設立し、赤絵技術と「角福」銘を供与 理念 相違 関係解消 その後和解 以後名義使用せず 佐賀県西部地方には、約五〇〇か所にのぼる近世磁器窯跡が確認されているが、調査が終わったのはまだ一部である。 前掲の柿右衛門窯跡 B窯においても一段の水平長最大約83mもあり、機械化が困難なこと、また陶片などの年代測定 (熱ルミネッセンス(TL)年代測定)などもあるものの、理化学的に正確な年代測定は困難であることから、今後も調査は 進まないものと思われる。 東京国立博物館 画像データベースに掲載されている 江戸期 柿右衛門様式 作品 底面の掲載写真のある3点は 何れも落款はない (輸出用の仕向け品には落款がなかった可能性高い 他国に出自国を知らせないため) 酒井田家の秘伝書「土合帳」と図柄の突合が難しい以上 柿右衛門 否かについてのこれ以上の高い確証は難しいことを理解した上で入札してください 浮選 法 に よ る陶 石 の硫化 鉄 除去 につ い て 磯 松 嶺 造氏 同志社大学工学部 論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakoronbunshu1953/25/7/25_7_547/_pdf/-char/en
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古美術 積善堂 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱 陶源作 AA53 倣古 景徳鎮 染付高砂花生
¥12,800
古美術 積善堂 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱 サイズ 高さ21,5cm 胴径11cm 状態/製造年代 完品 傷などはありません 明治末頃以降 1910年頃以降 製造者名 井上陶源堂 材質 磁器 管理番号 kosometuke-takasagote-kao inouetougendou AA53 商品詳細 商品は 九谷焼 双魚耳付 古染付 高砂手 花生 花器 井上陶源堂 共箱があります。 時代考証 景徳鎮窯 古染付高砂手花生 東京国立博物館 画像検索 写し 倣古景徳鎮 「倣古」古(いにしえ)に「倣」(ならう)景徳鎮 古染付高砂手花生写し 井上陶源堂 明治10年(1877)に開業されました。 初代は金沢から陶画工を招いて、地元の北出窯、蘇川窯などの素地に絵付をした製品を自家生産しました。 江沼地方を販売基盤にして京阪方面にも多くの顧客、小売店を得て、明治38年(1905)頃には江沼地方随一の陶器商人となりました。 特徴は伊万里、京焼を中心に国内各地の色絵の名品を研究して、その特色を取り入れた製品 陶画工の技能を活かし、古九谷風、八郎手風、伊万里風の良品を生産しました。 この作品は「倣古」(いにしえにならった)作品を世に出す。銘がないことから最初の頃の作品と思われます。 素地の完成度(異物が少ない)は高いものの、厚みがあることから明治末頃以降と思われます。 厚手となった部分について、分業が図られ、画工職人と形状職人に分かれ、形状部分は井上陶源堂の仕事ではなかった可能性はある。 ロールストランドやアラビアといった北欧の民藝調陶磁器メーカーでは、形状デザイナーも画工デザイナーも同様の地位にある。 九谷焼は画工一つで価格が天と地程の開きがある世界だが、優れた形状デザイナーを養うことは、九谷焼全体の発展には欠かせない要素ではある。 送料 日本全国一律 送料無料 ゆうパック
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古備前 細工物 布袋置物 七福神 布袋 金重楳陽作 金重楳陽 明治時代 備前焼鑑定 桂又三郎 小難
¥5,800
商品は古備前 細工物 布袋置物 七福神 です。 明治時代の布袋香炉 備前焼鑑定 桂又三郎著 写真 178図 似ています。 陶印から金重楳陽作と思われます。備前焼鑑定 桂又三郎著 P225 金重楳陽 金重久一郎 次男 明治年間に於ける細工物の名工 1860年生まれ 1916年 没 桂又三郎 明治34年 神戸生まれる 柳田国男 南方熊楠 師事 民俗学を専攻 昭和12年 備前焼の窯印 実大 収録 「伊部焼 陶印集 ○サイズ 13cm×11cm×12cm(高さ) ○状態 軍配の上部が切れているようです。 経年による僅かな傷みがありますが、息遣いが聞こえるようなリアリティ溢れる逸品ではあります。
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