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京焼 清水焼  清水六兵衛 二代六兵衛 六兵衛窯  呉須赤絵  赤絵草花文 土瓶 藤巻ツル  店内看板 趣向 

¥12,000

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京焼
呉須赤絵 赤絵草花文
陶器 (内側透明釉)
ファーストグレード
京焼 清水焼

年間観光客が5000万人も訪れるという清水寺、清水焼はその清水寺への参道である五条坂界隈に窯元を有していたことを由来として、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人の技法をベースに出来ています。

六兵衛窯 陶歴

江戸後期(明和八年)に、初代清水六兵衛が京都・五条坂に開窯



二代六兵衞は、初代が52歳、1790(寛政2)年の時に生まれた(幼名・正次郎)。

初代が亡くなった時には9歳で、すぐに家業を継ぐことは出来ず、1811(文化8)年に家業を再興し、二代六兵衞を襲名した。

また今回新たに、初代没後、正次郎が幼少のため家業を継げるようになる頃まで、清水家を支えたと考えられる丸屋庄九郎という人物がいて、正次郎襲名の翌年没しているが、これを清水家では顕彰の意味を込めて、二代六兵衞と称したと推測される資料が見付かった。

二代六兵衞(正次郎)は初代の作風を継承しながらも、奔放で型破りな作風を打ち出した。呉須赤絵写、南蛮写、そして晩年近く磁器焼成に成功の後、古九谷写なども果敢に試みていたことが今回明らかとなった。二代は静斎と号し、印は初代の六角「清」印を二重にしたものを用いた。 二代は、1838(天保9)年に隠居し、六一を名乗る。

この際、次男に三代六兵衞を継がせ、長男には新たに清水七兵衞を名乗らせている。

二代はその後も積極的に清水家の基盤強化に努め、中でも1843(天保14)年に越後長岡藩主・牧野忠雅の命によって御山焼(御庭焼)に尽力したことが、その後の清水家の販路拡大の大きな布石となった。1860(万延元)年に死去。

呉須赤絵

呉須と呼ばれる藍青色の顔料で描いた線描きをベースにし、赤や緑、黄、紫などの色絵の具をたっぷりと使って上絵付けが施されているのが最大の特徴です。(緑の部分が滲んだような描き方)

透明釉 晩年の作品と思われます。

商品は京焼 清水焼  清水六兵衛 六兵衛窯  赤絵草花文 土瓶 藤巻ツル 呉須赤絵 二代六兵衞 です。

商品は使用に耐えうる状態(内側透明釉が施されている。)ですが、喫茶店 「飾り物」「店内看板」に如何ですか

商品は傷、ヒビ、割れ、などありません。

注ぎ口には陶印があります。


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